農家を継いで50年、
甘夏ミカンひとすじ
岩野さん:不知火海から届くミネラル豊富な潮風や陽当たりのいい傾斜地、水はけのよい赤土など、田浦の自然条件が、おいしい甘夏ミカンを作るのにぴったりだったからです。
昭和の後半、東京市場へ出荷するために生産量を一気に増やしました。先輩農家さん達のPR戦略も後押しとなり高度成長期の波に乗って、甘夏ミカンブームに火が付きました。田浦産の甘夏ミカンはあっという間に全国へ知れ渡り、田浦は全国一の産地になりました。
では、岩野さんの農家人生は順風満帆だったのでは?
岩野さん:そんなことはありません。自然災害や寒波、野生のイノシシとの闘いなど日々苦労の連続です。毎年、天候などの状況が異なるのでその対応が難しい。正直なところ、今まで満足する出来だったことは一度もありません。
一番の悩みどころは、デコポンなどの糖度が高くて皮がむきやすいミカンが登場したことで、消費者の皆さんが「ミカンの甘さ」や「食べやすさ」を求めるようになり、甘夏ミカン全体の消費量が減少していること。農家になって50年以上になりますが、時代によるニーズの変化を痛感しています。
他の柑橘類を作ろうと思ったことはありますか。
岩野さん:浮気は全く考えたことがありません(笑)。
私は、甘夏ミカンの味に心底惚れ込んでいます。それに「自分が田浦ブランドを守らなければ」という使命感のようなものも感じているんです。甘夏ミカン作りに集中して、新しい可能性や魅力を掘り起こしたい。そして消費者の皆さんのフルーツの選択肢に、甘夏ミカンが当たり前に入るような日を夢見ています。